滝川二初V!得点王・樋口、清水内定勝ち取った

高校サッカー選手権・決勝、滝川二5-3久御山」(10日、国立)
 滝川二(兵庫)が久御山(京都)との壮絶な撃ち合いを5‐3で制し、初優勝を飾った。兵庫県勢の優勝は1938(昭和13)年度第20回大会の神戸一中以来で、戦後初。“岡崎2世”ことFW樋口寛規(3年)は2ゴールを決め、大会通算8得点で得点王となった。悲願の初優勝を飾るとともに、大会を通じた活躍で来季のJ1清水入りが内定。右足内転筋と同足首の負傷を抱えた強行出場の末に自らの未来を勝ち取った。
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 揺れ動く勝利の女神を受け止めた。後半39分から一気に1点差に詰め寄られて迎えた後半ロスタイム5分。FW樋口はゴール前で高く浮かんだこぼれ球を止めると、飛び出してきた久御山GK絹傘をかわす。「直前に1対1を外して流れが向こうに行った。トドメを決めんと」。痛む右足を振ると、息の根を止める1発が力強く刺さった。
 大会通算8得点で得点王。チーム全得点の20点中、浜口(7得点)との2トップで15得点を荒稼ぎした。この日も大会4度目のアベック弾。「最高の2トップやった」。という浜口との“ダブルブルドーザー”が初優勝の原動力だった。
 8強で敗れた08年度大会。1年生の樋口はロッカーで泣く先輩の姿を見つめた。芽生えたのは「悔しい。選手権で勝ちたい」という思い。スタンドから応援した母・嘉子さん(51)は「その悔しさがあったからここまで来れたと思う」と話す。
 チームにとっても悲願の全国制覇だ。滝川二を強豪に育てた黒田前監督が07年に退任。コーチだった栫(かこい)監督が後を受けたが、就任初年の07年は1度も全国の舞台を踏めなかった。「滝二はもう終わり。駄目だ」という声が聞こえた。「勝たんと子供も学校の評価もないんや」(栫監督)。わがままな態度には厳しく接し、県予選直前の合宿後には「勝手にしろ」と辞任を申し出た。公式戦出場に必要な選手登録カードを主将の浜口に渡し「もう預かれん」と突き放したこともあった。7月にはU‐15県選抜にも勝てなかった原石は、衝突しながら輝いた。
 樋口は全国一の栄冠とともに日本代表FW岡崎が所属するJ1清水入りもつかんだ。“岡崎2世”はプロでも誕生日(4月16日)とサッカー歴が同じ先輩を追う。「まだ足もとにも及ばないけど、いつか超したい」という岡崎に送るメールの文面は決めている。「滝二の歴史を塗り替えました」‐。